岡崎地区の遺跡・古墳
 
井辺八幡山古墳(いんべはちまんやまこふん)
 
井辺八幡山古墳は6世紀初めの古墳で約40基の古墳から構成される。
井辺前山地区は福飯ヶ峯を最高地点とした小山塊に連なる。
全長は約88m後円部経約45m前方部幅約57m、前方部を北西に向け、
東西両作りを出しを有する三段構成の前方後円墳。
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井辺遺跡(いんべいせき)
 
和歌山橋本道路改良事業に伴う発掘調査の結果、和歌山市井辺にある
井辺遺跡からは弥生時代後期から古墳時代にあたる約1800年前の
集落跡を発見。
遺跡西側で、傾斜を利用して南北に並行に掘られた水路とみられる
4本の溝が見つかった。
溝の中からは、壺や高坏、銅鏃などが出土しました。
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神前遺跡(こうざきいせき)
 
和歌山橋本道路改良事業に伴う発掘調査の結果、和歌山市神前にある
神前遺跡からは、弥生時代前期から江戸時代にかけての各時代の
遺構・遺物が発見されています。
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岡崎地区の文化財
 
岡崎の団七踊(おかざきのだんしちおどり)
 
県指定無形民俗文化財に登録されている「団七踊」。
昭和34年に県指定を受けて50年以上が経過しています。
この踊りの起源は、江戸時代の寛永年中、奥州白石郡坂戸村で悪代官
志賀団七に殺された与太郎の娘、宮城野と妹しのぶが13年目に父の
仇討ちを遂げたという事件があり、それが脚本されて江戸歌舞伎に
上演されたが、たまたま紀州藩主に随行して江戸に赴いた岡崎の
郷士が観劇して大いに感心しこの事件を謡と踊りに仕組んだもので、
長年地区民達にもてはやされ郷土芸能となったものである。
 【PhotoAlbum】
 
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